イメージ上がってる?下がってる?拒否ってる?

ドラマ「電車男」が終わりました。正直あまり見ていません。極端な描写に見えたからです。視聴率のための過剰演出を感じました。「オタク」という人種をクローズアップし、その人たちの日常のようなものを端的に見せていながら、ラブストーリーに持っていった、というのが断片的に視聴した印象です。
人ならば誰しも、気に入ったものを収集してそれに没頭する時間が多かれ少なかれあったり、収穫したものを大事に取っておくといったことがあるとと思います。映画・音楽・スポーツ・演劇・骨董・アニメ・その他、他人に自慢できるものから自分にだけ価値があるもの、なぜか知らぬ間にたまってしまったものとか。
それに人生を掛けてしまう人もいれば、上手く両立・区分けしているしている人もいます。後者がマトモな人、前者がいわゆる「オタク・マニア」というくくりは言い過ぎかもしれませんが。
その対象となるものによっては、「何を考えているのか分からない。」「気持ち悪い。」という捉え方をされるものがあります。最近での「アキバ系」が筆頭でしょうか。他人との関わりをあまり好まず、モノ・イメージに対して異様に執着する。本人達は新たに出てくるモノを「開拓している」と感じているのでしょうが、内容・描写等に目新しい変化はあまりないのですが。
彼らとそれ以外の人には、何が違うのでしょうか。というより、そもそも同じである必要があるのでしょうか。人が人をジャンル分けすることに、何のメリットかあるのでしょう。イメージにこだわっているのはどっち側なのか。「キモイ」は世間から見ての判断か、自分と意見が共感できないことを面倒と思っているからなのか。
そして「オタク」と言われる側は、他人への影響を考える余裕があるのでしょうか。最近は、オタクがその対象に対して自分の思いのたけをぶつけるだけぶつけて、それに反応しなければ暴徒化するということもあるそうです。自分のことだけ良ければいいというのは、進歩すること、よりよく人生を歩むために前に出ることを拒み続けているだけなのではないでしょうか。
ドラマでの話の主軸に「変わりたい」というのは感じられました。実際、あなたは今の状況から抜け出したいのにどうしたらいいのか迷っているとしたら、その時は多くの人といろんな話をするべし。初めは身の回りの人、その知り合いの人というように。まったく別の世界の人とでも、チャンスがあればぜひ。ドラマのように掲示板とかでも構わないと思います。そしてその中に明確な答えは無いかもしれませんが、ヒントは必ずあるのでそれを見つけだしてください。真剣に探せば必ず探せ出せます。
今、men's6が気に掛けている人たちは、そういったイメージの渦中にいる人たちに支えられている状況にあります。人々へのアピールは常に発信していても、自分たちもあのオタクと同じと思われたくない、という理由から本人達の努力はまったく見向きもされないままスルーされています。
思いこみは誰でもするもの。それを打ち破るだけのパワフルさが、今の「モーニング娘。」の10人にはあるとmen's6は信じて疑わないのですが。